【適応障害】社会不適合者だったアセクシュアルの話し

仕事の話し

こんにちは、kuroです。

今回は、私の話しをしようと思います。

以前動画で、HSPあるあるを投稿してる通り、私はHSPです。

人よりも、視覚や聴覚の感覚が敏感で刺激を受けやすいため、相手の表情の変化や、その場の空気を過敏に感じ取ってしまいます。

所謂「繊細さん」というやつです。

そして、HSPに他に、適応障害・不眠症・起立性低血圧・月経困難症という病気も抱えています。

皆さんから私という人間がどう見えているかは分からないけれど、私は誰かとお話するのが苦手で、予約の電話なども掛けるのが嫌で3日先延ばしにする程だったりします。

YouTubeやTwitterでもお話していませんが、今は仕事を辞めて療養中です。

仕事を続けられなくなったのは、これが初めてではありません。

以前も仕事のストレスにより、突発性難聴(片耳が聞こえなくなりました)や、ひどい眩暈に襲われて1年未満の転職を2回しています。

それでも、今回の会社では、長く働くことが出来ていました。

7年間勤続していた会社は、従業員が私一人で、関わるのは社長だけと、私にとっては天国のような環境でした。

1日の間で交わされる会話は「おはようございます」と「お疲れ様でした」だけでしたから。

あとは只管にパソコンで書類を作成して、決算処理や、給与計算、入出金の管理をする単調な作業で、人との関わりが極端に少なく楽だったのです。

しかし、ある日突然、会社に向かう電車で強烈な眩暈と吐き気に襲われました。

結局その日は、会社に行くことが出来ず、当日欠勤という申し訳なさから震える声で休みたい旨を会社に連絡しました。

それ以降から、度々電車で気持ち悪くなり途中駅で下車して吐く日が続くようになりました。

それでも耐えて何とか出勤していましたが、今度は突然手が爛れ始めたのです。

すぐに皮膚科に行きましたが、お医者さんからは「原因不明」と言われ強いステロイド剤で誤魔化す日々。

塗ると少し良くなるのですが、一向に完治する気配はありませんでした。

不眠症も悪化し、爛れは両手にまで広がっていく。

日々着々とボロボロになっていく私を見て限界と判断した相方は、一向に病院の予約の電話を入れない私の代わりに精神科に予約の電話をしてくれたのです。

そこからは早かったです。

すぐに「適応障害」という診断が下り、就業不能の診断書がでました。

お医者さんから「あなたは働くことができない状態です」といよいよ突き付けられたのです。

小さい会社でしたから長期休業も出来ず、そのまま退職となりました。

睡眠薬と安定剤をもらい服用してからは、驚くほど眠れるようになりました。

そして、仕事を辞めた途端に原因不明だった手の爛れがあっと言う間に治ったのです。

働くことがアレルギーだったとでも言うのか。なんだそりゃ…。

とはいえ、人間働かなくては生きていけません。

ですが、この人間社会の中で働ける気が一向にしないです。

たくさんの人と関わる職場はダメだったから、人の居ない職場を選んだのにそれでも私は、働くことが出来ませんでした。

こんな自分が働ける場所なんてあるのだろうかと毎日不安になります。

しかし、人と関わるのが苦手な私でもオンライン交流会や、ACE活動と通して知り合った人とは、楽しくお話しできることが分かりました。

少しずつですが、私も皆様と一緒に自分の居場所を求めて前に進んでいるような気がしています。

こんな自分にも出来ることが、きっと何かあるはず。

そう信じてYouTube活動を始めて、そのお陰で新しい人との繋がりが芽生えている。

人との関わりを避けて生きていた私がオフ会なんてものを開催しようとしている。

これを前進と呼ばずしてなんと言うのだろう。

私はこの数年間で、活動を応援してくれた人、交流会に参加してくれた人、今このブログを見てくれている人に何度となく感謝しています。

今の私があるのは、みんなのお陰です。ありがとう。

まだまだ立ち向かわないといけない難題が私にも、きっと皆さまにもあると思います。

一緒に頑張りましょう。

 

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コメント

  1. 美咲 より:

    初めまして。私は、5年ほど働いた前の職場で過労と精神的ストレスで体重が20キロ痩せました。
    母からは辞めた方がいいと沢山言われましたが、社員も少なく、自分が辞めたら他にこの仕事を誰がやるのかと思って辞められませんでした。今思うと、鬱になっていたのかもしれません。
    先日、前の職場の社長に会いに行きました。手の震えと痺れで、上手く話もするのがやっとで、体からの拒否反応がすごかったです(笑)そんなことがあり、今では辞めて正解だったなぁと思っています。
    そして先日癌で入院していた母が亡くなりました。私も少し前まで適応障害でした。ここでまた再発しないように、仲のいい友達に甘えながらしばらくは生きていこうと思います。
    ご飯食べるのも辛いですが、お互い頑張りすぎずに時に休んで、行きましょう。
    Twitterやってフォローしてます。@misaking40
    長々と失礼しました。

    • kuro kuro より:

      コメントありがとうございます。
      実はTwitterでお母さまが亡くなられたツイートをリアルタイムで拝見していました。
      私の場合は、祖母があと余命2か月と宣告されている状況でして他人事とは思えず、とても心に刺さりました。
      「おじいちゃんに会えたかな?」と最後に書いてあり、今読み返しても涙が込み上げてきます。
      私が想像する以上にお辛いと思いますが、美咲さんの感情が自分の感情のように押し寄せてきました。
      そんな中でブログを読んでくれて、前向きなコメントを頂けたことすごく嬉しく思います。
      はい!お互いに頑張り過ぎずにいきましょう!
      コメントを頂けてすごく励まされました。ありがとうございます。

  2. けんじ より:

    kuroさん、こんばんは。9月の交流会に唯一男性で参加したAセクです。
    本記事を読んで、こんなに現状が近い人がいるんだ、自分は一人じゃないんだと感じました。
    私もHSPかつ仕事を原因とした適応障害を持っています。交流会に参加した時は三度目の休職中でした。「人間働かなくては生きていけません。ですが、この人間社会の中で働ける気が一向にしないです。」この言葉痛い程分かります。AセクもHSPも適応障害も目に見えるものではないですから、当事者でない方に理解してもらうのはどれも難しいです。生きづらい世の中ですよね。
    しかしながら、kuroさんは前進をしている、それだけに留まらず、人の背中を押してくれています。私がその背中を押された一人だと思っています。
    私が交流会に参加したきっかけは、自身のセクシャリティについて見直すだけではありませんでした。当時、抑うつ気分で人との関わりを避けるようになっていた私は人と話す機会を何とか設けようともがいていた中、この交流会を知り、参加を決めました。
    交流会に参加して様々な当事者の方の話を聞けたのは、とても素敵な時間でした。自分のセクシャリティについて話す機会がこれまでなかったため、人に話せる機会ができ、自信を持てたこと。また、人と話すことが恐くなっていた私の心の荷が少し降りたたような気分でした。
    交流会を開いてくれたこと、この記事を公開してくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございます。
    これからも応援しています。一緒に頑張りましょう。

    • kuro kuro より:

      この間はオンライン交流会に参加してくれてありがとうございました!
      まさかここまで自分と同じ状況の方がいるなんて驚きです…!
      そして「一緒に頑張りましょう」と言ってくれたこと、とても嬉しいです。
      私も一人ではないのだと勇気付けられました。
      何かあれば支えます、力になりたいです。
      困ったことや、聞いてほしいことなどあればいつでも頼ってください。
      私もけんじさんの存在に支えられています。
      こうして交流を持ってくれたことにどれだけ助けられいるか…。
      本当にありがとうございます。

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