愛ってなんだろう?
周囲を見てると愛情深い人が多い気がします。
相方しかり、家族しかり、友人しかり。
では、果てして自分もそうなのか?と聞かれると周囲に比べて愛情は薄いと思う。
例えば…
大好物の銘菓、仙台名物の萩の月が食卓に1個だけあったとします。
相方だったら欲しいと言えば私にくれるか、半分こしよって言ってくれると思います。
でも私は、相方にバレる前に一人で食べちゃいます(´ー`)フフッ
そして、ああ、私はなんて愛が薄い人間なんだろうかと一瞬は思うのです。
―自己犠牲の精神
恐らくそれが私には存在していません。(若しくは極端に薄い)
いい意味で、自分は自分。他人は他人って認識がハッキリしてます。
悪い意味で、自分本位なやつ。
私は、愛ってどれだけ自己犠牲を許せるかな気がするんですよね。
自分よりも、相手の幸せを優先する。
その人が幸せだったら、自分も幸せとか。
その感覚がまるでない私は、アロマンティック・アセクシュアルなのが起因しているのか、人間性の問題なのかと偶に悩みます。
いや、人間性の問題なのは分かってるんですよ。
だけど恋愛もきっと多少なりとも自己犠牲が伴う行為じゃないですか。
自分の時間を削って、相手と過ごしたりとか(この発想がもう違う?笑)
皆さんはどうですか?
誰かのために自己犠牲を払えますか?
思いやりや、優しさだったら私には存在してると言えます。
ただ自己犠牲となると…ないかな。
この間、旭山動物園のキリンが事故で死んでしまったニュースがありました。
その記事を読んで半日ずっと号泣してました。
これマジな話し(笑)
ずっとshiroさんに宥められ、背中をさすられながら「どうして!なんで!まだ幼かったのに!」と泣き喚いていたのです。(迷惑)
いい大人がもう、わんわんと。
キリンは角が引っかかって骨が折れてしまい死んでしまったそうで、息絶えるまでにどれだけ苦しかっただろうかということを想像すると堪らなく悲しいのです。
そんな私をshiroさんは「kuroさんは優しすぎるよ」と言います。
だから一応、私には優しさが備わっているらしいのです。
でも、これは対象が動物だから。
飼っている猫のハイジと、オカメインコのルイちゃんの為なら自己犠牲だって躊躇わないです。
もし大災害が起こって飢餓に陥ったら2匹には、自分の食べ物を与えてでも生き残って欲しいと思います。
それでもし私は死んでしまっても、ハイジとルイちゃんが生きててくれればそれでいいです。
これが人間に向いたらなぁ(´_ゝ`)遠い目
でもね、たぶん、shiroさんにも生き残ってほしいから寝てる間に食べ物全部shiroさんの口に突っ込んで無理やり食べさせるかも。
こんな私がそう思える相手に出会えて感謝です。
ではでは、またね。
コメント
もしもの時の為に萩の月を沢山買いましょう👍
お高いのが難点(。-`ω-)